菊池桃子「ラ・ムー」伝説のロックバンド再評価の火付け役はナイトテンポ!? シティポップブームで大ブレイク!

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2022年11月15日放送予定の【マツコの知らない世界】では日本の80年代昭和Pop’sが海外で注目されていることが紹介されました。

【マツコの知らない世界】ナイトテンポ 韓国人DJの経歴、プロフィール!フューチャーファンクで昭和歌謡、80’s シティポップを海外に広めた功労者!

日本では1980年代にリリースされた楽曲が、現在海外で大流行を起こしており、韓国人のDJ兼プロデューサーであるNight Tempo(ナイトテンポ)さんがその火付け役としてスタジオに登場!!

そして

スペシャルゲストで菊池桃子さんが登場!!

菊池桃子といえば、80年代を代表するトップアイドルの1人。

大物アイドルの登場にナイトテンポさんも驚きを隠せず、、、

恥ずかしそうにしばし談笑、、、

そして、ナイトテンポさんは自身の願望として衝撃的なアピールをします!!

なーんと

1980年代後半に菊池さんが挑戦したファンク、ソウル風味の本格派ロックバンド「ラ・ムー」を新しい形態で復活させましょう!!

僕がコンピューターでバックミュージックを担当しますよ!!

とのこと、、、

本当にNight Tempo(ナイトテンポ)さんは菊池桃子さんのことをリスペクトしているんですね!!

番組内で紹介されていた自宅には菊池桃子さん主演映画作品、ライブビデオなどもコレクションされていましたしねぇ~

しかし、ナイトテンポさんがラブコールするほど素敵な

菊池桃子さんが結成していたRA MU(ラ・ムー)というロックバンドはどんなバンドだったのでしょうか!?

菊池桃子は1984年に「青春のいじわる」でデビュー

その愛らしい表情とか細い独特な歌声で、瞬く間にスターダムを駆け上がりました!!

85年から87年にかけてのシングルが7作連続でオリコン1位に輝く偉業を成し遂げており、アイドルとして成功していた時期に突如としてロックバンドを率いて歌うスタイルに方向転換!!

どうやら

「アイドルでいることに違和感があった」とのことで

アイドルからロックバンドのボーカリストへ転身!!

これは

日本アイドル史の中でも前代未聞の事件とされています。

今回は、人気絶頂のアイドルが突如として結成した人種混合ロックバンド「ラ・ムー」のことをご紹介したいと思いまーす♪

伝説のロックバンド「ラ・ムー」とは!?

ラ・ムーは

1988年、菊池桃子が脱アイドルを目指して結成された本格派ロックバンド

モモコのウラで2人の黒人女性が踊りながら歌い、キーボードやドラムス、ギター、ベースの4人がサポートする7人編成のバンドで曲調はファンキーなサウンド。

当時の日本ではそれほど定着していなかったR&Bファンク等の黒人音楽色が強めのサウンドで、菊池のボーカルはアイドル時代と変わらない優しいボーカルスタイルでなんともミスマッチな感じ。

その斬新な音楽性は大衆に受け入れられることなく、80年代当時は完全にコミックバンド扱いでした!!

今ならこんなロックも通用しそうですが、、、

時は1980年代後半、、、

バブル時代はもっとストレートでイケイケ、分かりやすく、明るく、陽気なサウンドが受けたんでしょうねぇ~笑

結局、商業的に失敗してしまったRA MU(ラ・ムー)は


シングル4枚とアルバム1枚をリリースした後、1989年に菊池桃子の事務所移籍により事実上の解散。

しかし、

その時代を先取りしすぎた独特な音楽スタイルは近年、再評価の兆しが、、、

筋肉少女帯の楽曲の『パンクでポン』の中では、ラ・ムー時代の菊池が「真のロッカー」である!!

とボーカル・大槻ケンヂが褒め称えています。

2010年代からは、ナイトテンポ氏が楽曲をサンプリングしたことでシティ・ポップブームの中でラ・ムーの存在が再評価されているんですよ~

「ラ・ムー」のメンバーは!?

伝説のロックバンド「ラ・ムー」のメンバーは以下の7人!!

  • 菊池桃子 – ボーカル
  • 松浦義和(まつうら よしかず) – キーボード
  • 中西望(なかにし のぞみ) – ドラムス
  • 勝守理(かつもり おさむ) – ギター
  • 吉岡誠司 – ベース
  • ロザリン・キール(Rosaiyu Renee Keel / Rosalyn Keelとの表記も) – コーラス
  • ダレル・ホールデン(Darelle Foster Holden) – コーラス

フュージョンバンド「プリズム」のサポートミュージシャンとしても知られるキーボーディストの松浦義和が中心となり、結成されました!!

コーラスに2名の黒人女性がいるのも注目すべきところですよね!!

「ラ・ムー」の作品は!?

ラ・ムーはデビューから約1年でシングル4枚とアルバム1枚をリリースした後、解散してしまいました!

楽曲や映像はYouTubeでも見ることができますよ~♪

1愛は心の仕事です1988年2月24日ダイドー・JUICE100 イメージソング9位
2少年は天使を殺す1988年6月8日4位
3TOKYO野蛮人1988年7月27日8位
4青山Killer物語1989年2月8日ダイドー・JUICE100 イメージソング19位

アルバム

ファーストアルバム『Thanks Giving』もオリコン初登場5位

アイドル時代にキープしていたオリコンTOP3入りから外れ、6週目にはTOP100圏外になってしまうほど急落してしまいました。

商業的には大失敗だったんですねぇ~泣

タイトルリリース日備考最高位
1THANKS GIVING1988年9月14日5位

Thanks Giving / ラ・ムー
■ リリース日:1988年9月14日
■ オリコン最高位:5位
■ 推定売上枚数:3.2万枚
■ 100位内登場週数:5週

まとめ

長年「黒歴史」とされてきたラ・ムー

30年の時を経てNight Tempo(ナイトテンポ)さんのリエディットによって再評価の動きが高まっています。

菊池さんは外国の方のファンが急増しており、自分の子供世代の人たちからもSNSでもメッセージが届くようになったんだそう、、、

解散から30年経ってこんなことが起こるとは本人も周りも夢にも思わなかったでしょうねぇ~

しかし、トップアイドルが人気絶頂期での転身に話題性は十分でしたが、肝心のセールスはいまいちで

ファンに???な鮮烈な印象を残したまま、1年あまりで事実上の解散となってしまった伝説のロックバンドラ・ムー

長年、菊池さんの「黒歴史」のように言われてきたラ・ムーが今また、シティポップブームで世界中で評価されるようになるとは驚きですよね!!

今後も韓国人DJ、ナイトテンポさんがとりあげる楽曲に注目していきましょうね~♪

【マツコの知らない世界】ナイトテンポ 韓国人DJの経歴、プロフィール!フューチャーファンクで昭和歌謡、80’s シティポップを海外に広めた功労者!